昨日、休みを利用して陸前高田市の復興の様子を見に行くことにした。
震災を機に、東京から故郷の高田市に戻った高校時代の後輩が、その案内役を務めてくれた。避難所となった諏訪神社、震災遺構として残されることになった道の駅タピック45、同じ敷地内にある追悼施設、山田洋次監督の寄贈を受けた
黄色いハンカチ、神戸から復興への思いが込められ、
気仙大工左官伝承館の敷地内に建立された希望の灯など、グルっと案内してもらった。
2年前のボランティアで訪れた折り、瓦礫の間を縫うようにして活動現場に移動したことを鮮明に憶えているが、今では殆どその瓦礫も残っていない。
道路沿いのところどころに、コンビニや食事処、お土産屋さんが建ってはいるが、震災前は住宅や商店で密集していた市街地の跡は、何もない平坦な広野が広がっているというのが、今の有り様だ。
ただ、巨大なジェットコースターのような、造成工事用の土砂を運ぶ専用のベルトコンベヤーが、西側の山から奇跡の一本松の横を通っているのが目に止まった。
巨大な工事用構造物である。聞くところによると、大型ダンプの搬出では約10年の歳月を要するところを、この方式では約2年で済むとのことだ。今月の末ぐらいから稼働するらしい。
震災から間もなく3年目を迎えようとしている。
素人目には、「未だまだ復興は遠いのでは」と思うけれども、着実に進んでいるようだ。

