昨夜はショックのあまりなかなか寝付けなかった。
と言うのも、4年後の岩手国体準備の為、県の国体準備事務局への回答の相談をしようと、日本パワーリフティング協会専務理事(元)の東郷達男(故人)さんに連絡を取るべく、携帯に幾度と無く電話を入れたところ、「現在使われいません」の録音メッセージしか返って来なかった。
途方に暮れ、日本協会の事務局に電話したところ、宮本副会長が電話に出られ、その旨のお話をすると、「実は2月に亡くなられた」とのこと。
とても信じ難く、暫しの間、茫然自失状態での電話対応となった。
私が最後にお会いしたのは昨年の10月末、
社団法人日本パワーリフティング協会創立40周年記念並びに宮本英尚副会長(同協会)の
叙勲受賞祝賀会が、東京都千代田区の如水会館で行われたが、その時が最後。
お会いした時の様子は、何ら変わらぬ様子だった。
それ以前にお会いしたのは昨年の7月、震災のお見舞いとして、
日本協会からの義援金をわざわざ届けに来て下さった時だ。
それも自宅の茨木県つくば市から、岩手くんだり迄遠路はるばる高速を飛ばして来て下さった。
その時は「流石に疲れたよ!」としみじみともらしておられた。
それもその筈、途中、福島県協会に立ち寄り、宮城県協会、そして岩手県と、広い東北3県に跨る強行軍とあって、本当に大変だったろうと思う。
私の息子(大学生)が同じつくば市に住んでおり、
その事を知ってる東郷さんから、「息子さんと是非家に遊びにきてよ」と生前何度もお誘いを賜り、「解りました、来年には是非お邪魔致します」と返答をし、今年中には訪問する予定だった。
本当に残念でならない。
日本パワーリフティング協会への多大な貢献は勿論、前職では地元茨木県の中学校長を務められ、謹厳実直で温厚な人となりを知る弔問客らで、
「斎場がこんなに混雑するのも珍しい」とタクシーの運転手さんも驚くほど、多くの方々に見守られながらのお別れだったとのこと。
あかずして 別るる涙 滝にそふ 水まさるとや しもは見るらむ 古今和歌集(兼芸法師)
最後に、お亡くなりになられて4ヶ月も経った今、訃報を初めて知った事に対し、非常に虚しさや無念さを実感するとともに、故人のご冥福を心よりお祈り申し上げたい。

自作の短歌を控え、今の心境を率直に申し述べるに相応しい、先人の詠んだ歌をお借りすることにした。